悲劇のケネディ一家から出てきた希望の星、キャロライン・ケネディの色濃い半生、その成功の裏側

 元アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディを父、大統領夫人ジャクリーン・ケネディを両親に持つ、政界のサラブレッド、キャロライン・ケネディ。今年駐日大使として就任した彼女は、どんな半生を送ってきたのでしょうか?

 キャロライン・ケネディは、父、ジョン・F・ケネディの長女として、1957年に産まれました。当時は大統領の娘として世界的な関心を集めました。

 しかし、1963年、父、ジョン・F・ケネディが暗殺された後は、母の保護の元、ニューヨークでメディアの報道合戦に巻き込まれずに過ごしました。
そんな彼女は、学士号を取得して、現在はハーバード大学と統合した名門校ラドクリフ大学を卒業後、コロンビア大学ロースクールを卒業して、法務博士となり、弁護士の資格を取得しました。その後、メトロポリタン美術館在職中に今の夫であるエドウィン・シュロスバーグと出会い、1986年に結婚し子供を授かりました。

 ここまで見ると、順風満帆な人生を歩んでいると思う方も少なくないと思います。しかし、彼女に産まれながらについている、「ケネディ」の名は、彼女をときに崖から落とすような、試練を与えました。

 父、ジョン・F・ケネディを暗殺で亡くし、叔父のロバート・ケネディをまたしても暗殺で亡くし、さらには次期大統領候補とまで国民に期待された、弟のジョン・F・ケネディJrをまさかの飛行機事故で亡くすという、悲劇の呪われたケネディ一家の生き残りとして、今のキャロライン・ケネディさんがいます。そんな彼女だからこそ、周囲からのプレッシャーがあったのでしょうか、政治の世界で活動をはじめるようになりました。

 2008年の大統領選挙では、叔父のエドワード・ケネディ上院議員と、現大統領バラク・オバマ氏を支持することで、政治にかかわっていくこととなります。駐加大使候補にも、たびたび期待されたり、ヒラリー・クリントン上院の後釜である上院議員の後継に意欲をみせましたが、2009年になって、上院議員の補填議員を受けることを辞退しました。

 現在は駐日大使として日本を舞台に政治活動をしている彼女ですが、そんな彼女の人事に、「有名人だから利用された」などの声も挙がっています。抜群の知名度を持つ、ケネディ家の、言ってしまえば生き残りのキャロライン、ここでアメリカからキャロラインを日本に送ることで、日本がケネディブランドを利用することも考えられますし、アメリカが日本に関心を持たせるため、又は政界のうるさい小姑のようなキャロラインを、オバマ氏が日本に追いやったという説もあります。

 そのようなことを言われても、駐日大使として就任したキャロラインは、きっと頭の良い方ですから、すべてお見通しだったのではないかと私は考えます。ケネディ家の子息としての重圧はすさまじいものだったかと思います。それでも自分の意志で、政界に戻ってきたのです。弁護士としてやっていくか、政界に入るかという葛藤はすごかったでしょう。しかし、今現在、駐日大使として彼女はいま日本で政界に関わっています。自分が決めた道に、堂々と立っているのです。日本に来たかったという彼女です、そんなキャロラインだったからこそ、日本人は暖かく彼女を迎え入れたのでしょう。そんな魅力が彼女にはあるのです。

 尖閣問題や原発問題、慰安婦問題に携わっている彼女は、日本にとって不利益なものを生み出す可能性もあります。現に今もネットやメディア上で、批判されたりもしています。しかし、「ケネディ家」というブランドをうまく使っている政治家「キャロライン・ケネディ」に注目していきたい。