エミン・ユルマズ 氏

複眼経済塾 取締役・塾頭

トルコ・イスタンブール出身。16 歳で国際生物学オリンピックで世界チャンピオンに。97 年に日本に留学。日本語能力試験一級、統一試験(外国人用のセンター試験)を受けて、1年後に東京大学理科一類に合格、その後同大学院で理学修士を取得。06 年野村証券入社、投資銀行部門。機関投資家営業部門に携わった後、2016年に複眼経済塾の取締役・塾頭に就任。現在、トルコ国立報道機関アナトリアンエージェンシーの専属アナリストも務めている。

複眼経済塾 『エミン塾頭インタビュー』 より

~エミン塾頭に生い立ちから今までの経歴をインタビューします~

◆東大卒・国際エコノミスト エミン ユルマズ

今回は、複眼経済塾の塾頭、エミン ユルマズさんにいつもはなかなか聞けないお話を聞いてみました!(聞き手:瀧澤事務局長)

ーエミン塾頭はいつ生まれたんですか?

エミン ユルマズ:1980年2月22日です。

ーどこで生まれたんですか?

エミン ユルマズ:トルコです。ガジアンテップです。

ー東京でいうと世田谷みたいなものですか?

エミン ユルマズ:いや、町ですね。うちは母親が中学校の先生をやっていたので小さいときに色んな町をまわっていました。

ーどのような幼少時代だったのですか?

エミン ユルマズ:僕が小学校の時にイスタンブールにきて、イスタンブールの小中一緒になった学校があって、 そこの学校の校長を母親がやっていました。

ーお母さんが校長を務める学校にエミン塾頭も行っていたんですか?

エミン ユルマズ:僕は中学校の最後の1年だけ行きました。それ以外は嫌だったんで行かなかったんです。それまで僕が行っていた学校が なくなっちゃったんで仕方なくいきました。

ーどうして嫌だったのですか?

エミン ユルマズ:だって、僕の母親が校長をやっている学校に行ったら皆の態度が違うじゃないですか。フレンドリーになれなくて 恐れるか、わざとらしい優しさになっちゃうじゃないですか。母親の地位や権力を使うのが嫌だったんですよ。
その代わり、妹はその学校にずっと行ってて思う存分、その権力を行使してましたけど。

ー兄弟は何人いるんですか?

エミン ユルマズ:妹が二人です。

ー今はトルコにいらっしゃるんですか?

エミン ユルマズ:そうです。

◆人生を変えた、生物学オリンピック

ーのちに、生物学オリンピックにエントリーされますが、それはなぜですか?

エミン ユルマズ:お母さんが生物学の先生だったんです。その影響で。あとは生物学が楽しかったです。顕微鏡とか触らせてもらえるから。汚い池の水とか取ってきて中の微生物を観察していました。

ーオリンピックは意識していたんですか?どのようにして参加できたのですか?

エミン ユルマズ:意識していましたね。まず国内で代表を決めるんです。その前に学校の代表で6人しか行けないので、 その6人に選ばれて全国大会に出場。全国大会は合計で5千人の学生が一時試験を受け、30人だけ残るのです。その人たちで冬休みに合宿を2週間行って、2次試験で 12人残して、さらに合宿をして4人まで減らします。その最後の4人が国の代表になります。

ーそれは日本からも来ていたんですか?

エミン ユルマズ:当時はまだ日本は参加していなかったんですが、今は日本からも4人毎年行きます。僕も大学生のころ日本チームの選別の合宿にゲストとして1回だけ行ったことがあります。当時、日本が初めて生物学オリンピックに出たとき、僕はまだ東大にいたから「私は生物学オリンピックの前のチャンピオンなので もしかしたら何かの役にたつかもしれない」と大学の担当の教授にメールしたら、ぜひ会いたいといわれて 合宿に行って学生たちに話したんです。

ー合宿というのは何をするんですか?

エミン ユルマズ:生物学というのはエリアが広いので、生物学の下にいろんな学問があるんです。動物学とか昆虫学とか生物統計学などのサブ分野が山ほどあって それぞれのサブ分野で色んな質問が来るんです。 レベルとしては相当高くて高校生が知ってる レベルじゃないんです。どういうレベルかというと、大学の生物学科を卒業した人が知っているくらいのレベルなんです。 それを競っていて、さらに生物の場合は実験もあるから、1日目は筆記試験、2日目は4のセッションに分けて実験をやらされるんです。 ショウジョウバエを見て遺伝的な特徴を見つけなさいとか。統計用の電卓で計算するんです。そのような電卓は今使えないけど昔はすごい使えたんですよね。

ーそれは最終的には個人プレーなんですか?

エミン ユルマズ:個人プレーです。4人で行ってるけど協力してやっているわけじゃなくて。

ーオリンピックは何人くらいでやるんですか?各国4人で

エミン ユルマズ:今は72ヵ国参加します。

ー280人くらいですか?

エミン ユルマズ:そうです。

ーとても多くの国の方が参加されるんですね?

エミン ユルマズ:私が行ったときはまだ参加国は30か国くらいだったんですが、今すごく増えています。生物学オリンピックの認知度があがっています。

ーエミン塾頭はなぜ優勝できたんですか?

エミン ユルマズ:わからない。

ーどんなことをするのですか?1日ですか?

エミン ユルマズ:1日じゃないですね。1週間くらい。評価を待っている時間もあって、その間学生同士で交流したり。

ー何問くらい解くのですか?

エミン ユルマズ:200問くらいです。

ーどういう感じで結果が発表されるのですか?

エミン ユルマズ:試験をして評価があって、最後表彰式があります。金メダルは1個じゃなくて10数人もらうんです。上位の何パーセントとか。 次に銀メダルが何パーセントとか。ただ、私はトップオブトップでしたけど。

ー言語は英語なのですか?

エミン ユルマズ:各国の言語に訳されます。英語だと学生さんは対応できないから。

◆奨学金で日本へ、そして東大へ

ー優勝してプライズが奨学金になるんですか?

エミン ユルマズ:プライズは色々あるんですが、トルコに帰ってきたらすごい数の新聞が取材にきました。当時の科学担当大臣が空港まで迎えにきました。普通だったら飛行機降りてパスポートの手続きとかするんですけど SPの人が代わりにやるからって降りたところで車に乗せられてお祝いのレセプションに連れていかれて、翌日大臣たちとご飯食べて 5つ星ホテルに泊まったりして。

ーだから物おじしないんですね。

エミン ユルマズ:(笑)
飛行機が着陸するときに滑走路に車が入ってきていて、誰か偉い人でもくるのかな、と 思っていたら自分の迎えでしたから。すごかったです。びっくりしました。

ーニュースになったんですか?

エミン ユルマズ:なりました。新聞にも取り上げられたし、テレビにも出ましたし。

ー有名人ですね。

エミン ユルマズ:そうですね。

ートルコ人では生物オリンピックに優勝したのは初めてだったんですか?

エミン ユルマズ:そうです。

ーそれでなぜ日本に来たんですか?日本のことは知っていたんですか。

エミン ユルマズ:知っていましたけど、日本語は当時ほとんど知らなかったです。「サムライ」「ゲイシャ」とか「バンザイ」「ニンジャタートル」とか そのくらいです。

ー奨学金をもらって日本に来てから何をやったのですか?

エミン ユルマズ:日本語学校に行きました。日本の文部省系列の。そこは日本語だけじゃなくて、普通の授業みたいなのもやるんです。 特に東南アジアなどは日本の大学に入るための年数が足りなかったりして、1年くらいそこに行くんです。 なので普通の日本語学校ではなくて、日本語能力試験で1位とか取るような留学生とか 中国、シンガポール、台湾、香港のすごく勉強ができる留学生がたくさんいましたね。

ーどこまで国が持ってくれるんですか?

エミン ユルマズ:全部です。学費プラス生活費とか家賃とか。学費は免除されてましたけど。18万~20万くらいもらえていました。

ーいつまでもらえるんですか?

エミン ユルマズ:ずっともらってもよかったんですが、修士終わるまでもらいました。トルコの制度もいろいろ変わるので。

ー当時の夢はどういうプランだったのですか?

エミン ユルマズ:最初は学者になろうと思っていたのでとりあえず大学院まで研究はしました。遺伝子関係とかやりたかったから。ただ、論理は好きだけど動物実験しなければならないのが 好きじゃなかった。医療関係とか特にやります。マウスも殺せなかった。動物を殺したことがないんです。 試験管の中だけで実験やっていて、そういうのだとどっちかというと化学の方になっちゃうんです。 生物学をやると動物を殺さなきゃいけないから、可哀そうだからできなかったんです。

ーそれで野村證券に入ったんですか?

エミン ユルマズ:みんなに聞いて、証券会社は楽しそうだったから。

ー野村だけですか?

エミン ユルマズ:友達がリーマンブラザーズに受かって初任給で600万以上もらえるって聞いてから証券会社って儲かるんだと思って。野村だけうけた。 でもそのまま行くとなんであんたここに来たの?っていわれると思って、学生のうちに証券外務員の資格を取ったんです。 その年初めて学生に解禁されたんです。それを取ったらそれがすごく有利になったんです。

ーそれで最初は企業情報部に入ったんですか?

エミン ユルマズ:そうです。 そこに3年近くいてそこから機関投資家営業部に行きました。 最初にカタールに行かないかって言われましたが、中東ではあまりM&Aの仕事がないから機関投資営業に行ってマーケットのことを覚えてくれと。しかし、その直後に野村はリーマンを買収して、中東に社員がたくさんできたので行く必要がなくなったのです。あとは当時スノボが大好きで毎週行っていたのでアラブに行ったらスノボできなくなるのも嫌でしたね。

ーその後紆余曲折あって複眼経済塾にいらっしゃったんですね

エミン ユルマズ:そうです。 その話はまた今度詳しくします。


エミン・ユルマズ 氏 代表著書

『2023年・第二の開国で日本株・資産が一気に高まる(仮)』
 インフレの時代、ブロック化が加速する世界。西側民主主義エリアで日本の「モノづくり力」が重宝される近未来。日本企業の業績向上、株価アップ、日本ルネサンスを明瞭に説く書。

『 エブリシング・バブルの崩壊』
 コロナ禍で空前の金融緩和が行われて3年。インフレ懸念、利上げの必要性を叫ばれてきたが、いよいよ2022年は、FRB(米国の連邦準備理事会)の方針大転換で、3月から利上げが始まり、世界経済のフェーズが変わる。
 米国のインフレ率は、2022年1月で前年比8.6%に達し、食料や生活用品が値上げされているばかりか、賃金も上昇している。
 しかし日本では、思うように賃金が上がらず、物価の上昇だけが先行する不況下のインフレ、すなわちスタグフレーションが懸念されている。
 また米国が撤兵したアフガニスタンの混乱や、ウクライナへのロシア侵攻の懸念など、地政学リスクが増大することによって、原油や天然ガス、小麦などのコモディティ価格が上昇し、ますます世界のインフレに拍車をかける状況となった。
 一方、世界経済の牽引車だった中国は、恒大集団の実質的な破綻など不動産バブルの崩壊がささやかれ、景気の後退が懸念されている。
 こうした様々な世界経済のほころびが明らかになった2022年、上昇しすぎた世界の株式市場や不動産市場はどうなるのか?
 今後の世界経済はどのように展開していくのか?
 すべてがバブルと思われるほど価格が上昇したいま(2022年春)、リーマンショック以上の世界経済の崩壊(!)が近づいていることを、著者は深く懸念している。
 さらにサイバーセキュリティーへの懸念や暗号通貨の広がりなど、グローバル化、デジタル化した世界経済ならではの、新しい問題についても警鐘を鳴らしている。
 著者は、こんなときだからこそ、日本に世界の資金が集まるチャンスとも言う。
 投資をする人も、そうでない人も、世界経済の大転換期に入った今、是非読んでおきたい一冊である。

『新キャッシュレス時代 日本経済が再び世界をリードする 世界はグロースからクオリティへ』
 急進するキャッシュレス化社会は、日本経済に何をもたらすのか?
 米中摩擦、コロナ禍による第二次世界大戦以来の“戦時体制”下で進む世界経済のブロック化こそ、日本経済復活のカギとなる。
 世界はコロナ・パンデミックをきっかけに新たなパラダイムにシフトした。
 株式市場のグロース株(成長株)バブル、つまり米中のバブルが弾けた時、世界でバリュー株の時代が始まる。その時、バリュー = クオリティの象徴である日本、そして究極のバリュー株である日本株が必ず復活する。
 その方策と道しるべを、気鋭のエコノミストが通貨の歴史から紐解き、その未来を予測する。
 第1章 コロナ・ショックで進む世界経済のブロック化
 第2章 戦後最大の好景気が訪れる
 第3章 通貨の歴史 お金の誕生から貨幣の登場まで
 第4章 電子マネーと仮想通貨の登場
 第5章 日本が世界をリードする時代
 第6章 日経平均は2050年までに30万円に?

『コロナ後の世界経済 米中新冷戦と日本経済の復活!』
 今こそ日本株に投資すべき!
 コロナ後の米中新冷戦時代、
 世界の投資マネーは日本をめざす。
 2020年3月、コロナショックと呼ばれる世界経済の混乱とマーケットの暴落があった。一時はリーマンショック以上の恐怖のシナリオを囁かれたが、世界的な金融緩和とコロナの被害が常態化するにつれ、"不況下の株高"という異常な経済が始まった。
 一方、ますます激化する米中対立の激化、コロナの再燃も予測されるなか、これからの世界経済や地政学的状況はどのように動いていくのだろうか?
 トルコ人で天才エコノミストの著者は、今後は世界の投資マネーが日本に集まり、日本の株式市場が空前の活況を迎えると大胆に予測する! 2025年に日経平均は5万円を超え、バブル期を超える日本株の上昇がおこるという。世界的なインフレが予想されるなか、資産を目減りさせないためには、株式投資を学ぶべきだという。
 世界経済の分岐点に当たる昨今、アフターコロナの社会状況の変化も考えつつ、長期的視点でどんな視点で投資すべきかを語り、具体的に注目している銘柄一覧も掲載する。