末国愛里

「今の私が一番好き」と言える自分へ

元全日本代表バレーボール選手だったが、オリンピック出場直前で心臓病により選手生命を絶たれる。

人並み以上の挫折感と焦燥感から立ち直るきっかけとなったコーチングを全国に広めるべく、日本中で活躍している。

1972年12月27日、広島県出身の父と北海道出身の母との間に生まれる。
兄弟は1歳年上の兄がひとり。

父親の転勤のため、バレーボールが盛んな広島県の福山市に移る。
友達に誘われて何気なく入ったバレーボール部だが、父親譲りの負けず嫌いと、母親譲りの恵まれた運動神経に気づき、「これは私に向いている」とバレーボールにますます打ち込む。

熱心な地域で指導者にも恵まれたため、地区大会ではすぐに優勝できたが、県大会になると大苦戦。
優勝戦で負けた悔しい思いを胸に、より熱心にバレーボールに打ち込む決心をする。

その決意と共に、親元を離れ、合宿所のある広島県の進徳女子高校に進む。
その理由は“自分の力で優勝を導く”ため。優勝経験の一度も無い高校を選んだ。

ここで出会ったのが、この後もずっと長いつきあいになる恩師の寺尾先生。
厳しい中にも優しさがあふれる指導の元、メキメキと力を伸ばす。

生まれつきの“運の良さ”も手伝い、監督だけでなくチームメイトにも恵まれ、念願の全国大会へ出場。春の高校バレーやインターハイ、国体でも大活躍。

広島県は代表争いが激しく連続出場は難しいにもかかわらず、在学中の3年間は全戦全勝の前代未聞の記録を打ち立てた。
県内では負け知らずとなったこのチームでは主要メンバーのひとりとして活躍し、その後ユースの日本代表選手として抜擢される。

そして同期の多治見選手や大貫選手、江藤選手と一緒に出場したアジア大会では優勝。
その後のブラジルでの世界大会に出場し、銅メダルを手に入れる。

1996年のアトランタオリンピック開催が迫る中、その特別強化指定選手にも選ばれ、長年の夢がかなおうとしたそのとき、心臓の病気が発覚する。

ドクターストップの診断を受け、即刻スポーツは中止。選手生命を絶たれる結果となった。

その喪失感や挫折感から、心も身体もボロボロとなり、ひとり悩むことに。
自己啓発やメンタルトレーニングを行うも、自分自身では解決できず、約2年間の不遇の期間を過ごす。

そんな中、出会ったのが「コーチング」の技術。
人生の出来事を前向きに捉えるその考え方に共感し、まず自分自身を「コーチング」で立ち直るきっかけとしている。

人並み以上の挫折感から立ち直った自身の経験を元に、今は「コーチング」を広めるため中国地方を中心に活躍。
岡山県、広島県はもとより、遠く関西地方からもわざわざ受講するためにやって来るクライアントもいるほど。

弁護士、税理士、オリンピック選手、経営者、教員、主婦と個人を初め、中・小、大手の法人と、業種、職種を問わず多岐にわたる人々に支持されているコーチのひとりである。

全てのクライアントには「今の自分が一番好き」になることをモットーに、私生活にもコーチング技術を取り入れ、母親としても充実した毎日を送っている。